俳句 和歌 川柳集  1

パリの物乞いたち 2017年5月19日現在 安田清

 

 2011年7月15日から21日まで、アルツハイマー病国際会議の発表のため、パリに初めて行った。23才頃、キュビズムのグリスの絵を見てから絵画が好きになった。以来、絵の上でパリはなじみであったが、不思議に行きたいとは思わなかった。その後オペラが好きになり、7月16日はオペラ座のMozartのコシファントッテも鑑賞した。
パリは想像以上に街並みがきれいであった。多くの画家や詩人が訪れた理由がよく分かった。そして、にわかに詩人になった気がした。後述のようなオルセー美術館前での体験もあり、中学で俳句を作らされて以来の42年ぶりの俳句や、初の和歌、川柳を作りたくなった。まったくの独学の俳句だが公開して、教えを請いたい。 

 パリに着いた日の夕方、ポンピドー美術館に行った。最上階にキュビズムの1人レジェの大きな絵が東を背にしてあった。迫力ある絵でレジェを見直した。窓からは夕陽に照らされたパリの街並みが見えた。右手に見えるのがモンマルトルの丘であろう。

 

レジェありて 家並(やな)みに夕陽 ポンピドー

 

しかし、パリの街のきれいさ以上に、物乞いの多さに驚いた。それまでシアトル、ロンドン、シドニーといくつかの都市を訪れたが、ここまで多くはなかった。何人かはあえて目だつように、道の真ん中に座っていた。通行人の邪魔にならないよう座り場所を選んでいる日本の物乞いとは大違いであった。

 

花のパリ 物乞い 道の真ん中に

 

オペラ座周辺にもいた。オペラ座の豪華さにも圧倒されたが、その前に30代と思われるような若い物乞いも座っていた。

 

堂々と パリのオペラ座 物乞いも 道の真ん中 臆せず座る

 

滞在中は雨が多く、日本の梅雨のように陰鬱であった。

 

物乞いの 涙止まらず パリに雨

 

若い女の子が煙草をくわえ、火も消さずに道に投げ捨てる光景をよく見た。他のゴミもよく落ちていたが、濡れた歩道のせいもあり、街並みに馴染んでいた。

 

ゴミ濡れて 点景となる パリの路

 

7月にもかかわらず、朝から冷たい雨が降っていた日、オルセー美術館に行った。世界中から来た人の長い行列ができていて、入場までに2時間並んだ。その間、多くのアフリカや中近東系の人々が入れ代わり傘を売りにきた。路上の傘売りという商売をはじめて見た。しかし、連日の雨で買う人は1人もいない。その傘売りは貧しさのためであろう、いずれも傘をささずに、濡れながら傘を売り歩いていた。

 

傘売りが 傘をさせない パリは梅雨
 
その傘売りの中に、13、4歳の中近東系の少年がいた。そばにルノアールの「ムーラン・ドラ・ギャレット」の巨大な絵看板が。その絵のなかの優雅な笑顔や踊る人々、あこがれのオルセー入場を待つ世界中からきた人、そして傘をささずに濡れながら傘を売る少年。普通であれば学校に行っている時間帯である。

 これらの対比に「ああ!ミゼラブル」の言葉が浮かんできた。自分も貧困家庭で育ったが、比較にならないであろう少年の現状を思い胸がつまった。彼はそばの看板の絵がルノアール作ということを習ったのだろうか。パリの街の美しさと、際立つ格差。

 

濡れながら 傘を売る子よ オルセーで ああルノアール 
微笑みやめよ

 

濡れながら 傘を売る子よ オルセーで テロに走るな 
革命めざせ 

 

(追記)、2016年1月パリで同時多発爆破テロが発生した。犯人は中東系のイスラム過激派グル―プとのことである。予感を感じたテロが本当に起きてしまった。あの傘売りの少年は、その後どうしているのだろうか?

 

雨にぬれ 傘を売る子よ パリ無情

 

オルセーの後、すぐそばの暗い色のセーヌ川を見ながら少年の将来を思った。

 

セーヌ川 傘売りの子の 流れ先

 

パリは多くの詩人を輩出してきたが、物乞いを詠んだ詩は聞いたことがなかった。また、自分の若い時も戦争はあり、貧困もあった。しかし、それらは将来減ってくるだろうと信じていた。パリに来てこの考えの甘さをまざまざと見せつけられた。

詩人に取り上げられず、むろん普通の人からも顧みられないであろう物乞いたち。

 

夏霧に 詩人となりて セーヌ見る

夏霧に 俄か詩人が セーヌ見る

 

また、犬をつれた物乞いもよく見た。

 

セーヌ川 乞食の犬に 見つめられ

 

いくつか訪れた教会は、大きく荘厳そのものであったが、それらの入り口にも物乞いがいた。教会は彼らに手を差し出しているのだろうか。

 

教会の 物乞い我に 拝むパリ

 

ある日の朝、学会会場前にはマシンガンを持った兵士がパトロールしていた。そのうち、サルコジ大統領が来着、挨拶を始めた。今後フランス政府はアルツハイマー病のため大きな予算を割くと言い、大きな拍手が起こった が、果たして、どこまで本気かと思った。

 

認知症 救うとサルコジ 胸張るも 花の都に 物乞い多し

 

ある夜、ロートレックのポスターでなじみのムーランルージュで、トップレスで踊るダンサーの群舞を見た。終演後、雨は上がり、月明かり中に赤い風車があった。

 

乳房舞う ムーランルージュに 夏の月

 

画集ではパリの家の壁は、落書きだらけであった。実際には落書きはきれいに落されていて、目にすることはなかった。帰国の日の午前、モンマルトルの丘を登った。ピカソなど多くの画家が済んでいた場所だが、落書きだらけの壁がいくつか残っていた。いずれも見応えのある“芸術的な”落書きであった。佐伯祐三の「ガス灯」の絵と、彼の若すぎる死を思った。

 

モンマルトル 祐三好む 壁残る

 

日本に向かう飛行機で、計らずもユーロの小銭がポケットに残った。

 

 花のパリ あまた物乞いせがまれし ユーロの小銭 帰途の重さよ

 

帰ってすぐに思った。またパリに行きたいと。 以上

 

 

ローマの物乞いたち    

2013年3月                     

2013年3月6日―12日、アルツハイマー病&パーキンソン病の国際会議の発表のため、フレンツェに滞在した。フレンツェは17歳の時、オッタビア・ピッコロ主演「わが青春のフローレンス」という映画を見て好きになり、その映画のポスターを部屋に飾っていた。無意識に憧れてはいたが、行けるとは夢にも思わなかった。途中、ミラノとローマにも寄った。ミラノのスカラ座ではオペラを観劇。やはり、いくつかの俳句・和歌を作りたくなった。特にローマではパリと同様に物乞いを多く見かけた。

 

スカラ座の 傘売りは傘 差して売る パリとは違うも アリアは悲し

 

オペラ聞き あふれた愛は 出口まで 花売りの花 一瞥もせず

 

フィレンツェはドームに上った。狭い通路で上るのが大変だったが、屋上から見る景色は素晴らしかった。歩くと、道は狭く、暗いところが多かった。暗い出来事も多くあっただろう。

 

フィレンツェはオレンジ色の 屋根光る 歩けば街は 狭くて暗し

 

帰途、ローマの空港から帰ったが、ローマでは教皇選出のためのコンクラーベが行われており、マスコミのカメラが上を向けて煙突を撮っていた。そして、多くの物乞いを見かけた。

 

人仰ぐ コンクラーベの 煙色 マリアは見るや 地べたの物乞い

 

ローマの乞食は、パリの物乞いとは違い、地べたに額をずっとくっつけていて、まさに道にひれ伏していた。カトリックの総本山がある町で、人にあのような卑屈は姿勢を取らせて宗教関係者は恥ずしくないのだろうか?

 

顔上げず ひれ伏す物乞い バチカンの 鐘の音遥か上を流れる

 

石畳 ローマの物乞い 額つけ バチカンの塔 見たいか見ざるか

 

バチカン美術館の内装の豪華さには、目を見張った。まさに、王宮のようであった

 

バチカンの 部屋金色の 威光満つ 路の物乞い 尻向け祈る 

 

円形競技場コロセウムにも行った。

 

 灰色の コロセウムの 芝青し 未だに吸うや 剣闘士の血

 

以上

注: 2022年11月改変

 

写真俳句

2017年3月よりFace Bookをはじめたことをきっかけに、時々写真とともに、俳句を作りだした。その後2019年頃より、テレビの「プレバト」を見ながら、勉強(?)している。

 同じテーマで複数の句が浮かんだ時は併記した。独学で添削してくれる師匠もいないため、公開して広く教えを請いたい。

 

2017年4月職場に千波(ちなみ)さんという後輩が来た。窓からの桜も満開

 

千波来て 桜も風に 千の波

 

同じころ、友里恵さんというスタッフが出産のため、休職した。

 

友里恵去る 次は親子で 見る桜

 

私も老いてきて、もの忘れで業務上のミスを指摘された。気落ちした次の朝、庭のボタンが雨にぬれていた。

 

もの忘れ 嘆くなボタンも 雨に耐え

 

数年前より、キンセンカが食べれるとわかり、咲けば天ぷらなどで食べている。

 

キンセンカ 咲けば悲しき 安田庭

 

西川君という友人から、柿を鳥のために残す風習があると聞き、それからいくつか柿を残すようにした

 

西川へ メジロが来たよ 残し柿 

 

以下は、以上の俳句の写真版です。

 

千葉の南の房州には前から春に咲くキンセンカを食べる風習があると聞いた そこで、食べてみるとモチモチしてうまかった!

 

キンセンカ 咲けば食われる 

安田庭

15年かかって首掛けメモ帳がほぼ完成した 掛けたまま、手帳の中身が見れれば、物忘れや認知症の人に役立つと思ったが、簡単な方法を見つけるのに時間を要した 大げさだが、文房具の長い歴での中で、首から掛ける手帳というコンセプトは始めてだろう AIが盛んな昨今だが、ローテクも大事であろう ローテクならば世界中の人が使ってくれる

上と同じような内容だが、ローテクは見た目は簡単でも、そこまで簡単にするのは容易ではない AI開発の大変さはわかりやすいが、ローテク開発はなかなか分かってもらえないつらさを感じる時がある

寒い朝が続く 母親がまだ薄暗い時から起きて、外で手洗いで洗濯していたことを思いだした 自分が起きだしたころには、それらはカチカチに凍っていた

同僚が生まれたばかりの子供を抱いてきた 名前は泰生とのこと 母の気持ちと、将来この子が、人の泰生を願うような子になってほしい、と期待して

生まれた房総半島は、地球上でも最も新しく、77万年前の海の底から陸になった土地と聞いた チバニアンがそれを象徴すると 家の庭にはユキノシタが出ている

バラのピエール・ド・ロンサールが枯れていることに気がついた 周りはピンク、中は白色と、バラの中では特に好きな種類だった 退職の春、自分より先に人生を終えてしまった 残念! 

2018年3月29日、35年務めて退職 やったことの充実感はほとんど感じなく、やり残したことを悔やむ気持ちで一杯 若いときに、あっという間に退職の時期は来る、と言うことが分かっていれば、もっと努力したのに、という気持ちだ。

 職場の窓からは、まれに見る早咲きの満開の桜。違う表現で、

 職辞する 何残したと 桜窓

 

職場にいた時は、年に数回食事会をウナギを食べた。退職後はほとんどなくなった。値段も高い。

 

退職後 次はいつかと ウナギ丼

夏の朝に咲いたズッキーニの花があまりにもあでやかだったため、思いついた マリアカラスは50年前イタリアで一世を風靡したオペラ歌手で派手な歌い方、派手な容姿、派手なスキャンダルでオペラを知らない人に有名だった 

たまたま家の前の小学校の運動会を覗いた時に、見た光景 

  ほかにも登校を嫌がる子を無理やり連れて行く親などを年に数回見かける

 おもにいじめだろうか?

学校関係者を含め皆でもっと考えれば、良い策は出ると思うが、、

孫が花を浮かべて遊んでいた そして、映画「利休?」で、利休が、朝顔を水に浮かべて秀吉に見せた場面を思いだして

 

百日草 浮かべ利休と 並ぶ孫

京都にいた20歳の秋、シューマンのピアノ五重奏曲(op.44)を偶然聞き大感激、人生観が変わってしまった 「世の中にはこんなに素晴らしいものがあるのか このような感激はもう死ぬまで味わえないであろう」と思った  

 たまたま図書館からシューマンの本を40年ぶりに借りて当時を思い出した 

 

シューマンや 秋空開く 京の路地

シューマンや 開け秋空 京の路地 

シューマンだ 秋空まっすぐ 京の路地

2018年12月新潟県糸魚川のフォッサマグミュージアムで翡翠を見た 夜は親不知の断崖にあるホテルに宿泊 翌早朝浜におりて翡翠探し すでに波に濡れながら探している人がいた 佐渡も能登も見えない 

松尾芭蕉もここを歩いたと 彼の 「荒海や佐渡に、、、」を意識して

 

                               冬波は 翡翠を寄せず 佐渡はるか

                                 冬波は 翡翠を寄せず 明けの星  

そのあと市振駅に ここは松尾芭蕉が「一つ家に遊女も寝たり、、、、」の句を詠んだところらしい 無人の駅で乗る人もいない 駅からの光景はモンドリアンの抽象画と水墨画を合わせたようだった 曲線の無い風景                                も珍しい

市振の 駅冷え 抽象画の夜明け 

                                 

これは芭蕉の「旅に病んで 夢は、、」の俳句のパロディーだが、変形性膝関節症で実際に膝が痛い

ある大学との打ち合わせで、認知症の人への良いシステムを作ってくれた学生が多額の奨学金返済を抱えていると 世界には高等教育無料の国もあるというのに ネットには、返済地獄の表現が散見 向学心を利用した貧困ビジネスだ 誰がこんなことを許したのか

 

                               奨学金 返済地獄に 巣立つ君

数年前   某有名大学出身の身近な人から  あの人は中卒だから知能が低かったかも  と聞いてショッを受けた  高学歴かどうかは家の収入が主な要因   それは誰でも知る常識だと思っていたからだ  実際 オール5を取りながら中卒で世に出た二人の同級生がいた   学歴差別主義と言う言葉はないのだろうか?

   今は受験シーズン まさに50年前全日制高校に受験できなかった自分などは  その日早帰りさせられた その帰路の暗澹たる気持ちは忘れられない その後、2年連続で専門学校の入試に落ちたことがあったが、その時の気持ちの比ではなかった 挑戦する機会も無しに  一生下積み生活を宣告させられた気がしたからだ

 

数年前より貧困の連鎖防止や  教育

                          の機会均等が言われるようになった  

                          何を今更の気がするが  同じ思いを持

                          っている若い人も多いだろう   ぜひ

                          実効的な政策になってほしい

                            貧乏の 子は受験日に 奈落行き   

段々年を取ってくると ソメイヨシノよりも八重桜が好きになってきた 若いころはあまり好きではなかったが その花はあたかも塾女が誘っているような妖艶さを感じる

先日、政府がすすめる地域包括ケアーの講演会があった。講演者があまりに政府のいうことをそのまま伝えることに、従来からもっている疑問を、質疑応答の場で講師に投げかけた(当ホームページの認知症:地域包括ケアに反対照)。                              発言後、”空気を読め”とある知人、しかも数人から言われた。質問内容の適否でなく、異論自体を許さない風潮に、言論の自由のいう値観が危うくなっていることを感じた。日本はどうなってゆくのだろうか。

同職の友人が病気になり、1年後の生存率が20%といわれた 彼女にはこの仕事の養成学校の時から世話になった 英語の論文作成を含め、自分の職歴に大きな影響を与えてくれた 2020年元旦、ラインで宮城道雄の「春の海」を聞きながら、彼女                              の治癒を願った 

 写真は瀬戸内海の呉線から見た風景だ 「春の海」は盲目の宮城が与謝蕪村の

春の海 終日のたり のたりかな」という俳句から、瀬戸内海の福山で作曲したらしい。俳句も音楽も実に素晴らしい。ともに敬愛する芸術家だ

2020年2月初めて億嵯峨を歩いた 途中、芭蕉も訪れた落柿舎に寄った その外壁は斑点が無数に浮かび出た壁 聞くと蛍壁というとのこと。それを触って感じた春の気配

30歳ごろ三井記念美術館の前身の美術館で、ある朝鮮半島の李朝の白い皿を見た その白肌は、シミだらけて色もくすんでいたが、実になまめかしかった 2019年同美術館の展示で同じ肌の粉引き茶碗を見た 再びその肌に魅せられた 国宝にしてほしいぐらいだ これを作った陶工に感謝

約15年前土地を買って家を建てた。その時、思いもかけず、本来誰のものでもないものを、占有して良いのだろうか、という考えにとらわれた。他の土地を買った人はそう思うことはないのだろうか?

40年ほど前、浮世絵専門誌でこの絵を白黒で見た。豊春の作だ。しかし、所蔵先が不明。最近、米国ワシントンのフリーア美術館の本で偶然、この絵があり、初めてカラーで見た。3年前、ワシントンに行ったが、訪問できなかった。また行くには、遠い。しかも館外貸し出しはしないと。すっきり見えない、梅雨の星のようだ。

 

豊春の フリーア遠し 梅雨の星

最近、オンラインで同職の友らと、たまにオンライン飲み会を始めた。 その中に、諏訪に住む人がいて、写真を送ってもらった。特に富士山が見える。

 オンラインの後の語頭にSを並べてみた

散歩の途中、セイタカアワダチ草とススキが生えている場所があった。アワダチ草は外来種で嫌われることが多いが、両者ともすっくと、自分には気高く立って見えた 向かいの空には月が出ている そこで月に、あることをすこし願掛けした。

 

月に期す アワダチ草と

ススキ背に

 

 

朝のさんぽ中、向こうの丘に、朝焼けでシルエットとなった元勤め先が浮かんでいた 35年間勤めた様々な思いが出てきた。

若いときから、蕪村は知っていた。どっちかと言うと、絵よりもいくつかの俳句が好きだった。

 

 例 夏河を越す嬉しさよ 手に草履

 

しかし、還暦に近くなってくると、その絵の良さもじっくりわかったきた。このような、独創的な絵の分野を絵画史に開いたと思う。パリの研究所で講演させてもらったとき、スライドの合間に蕪村の絵を中心に紹介させてもらった。フランス人には理解してもらえたかな。

近くの教会の十字架の上に、カラスが止まっていた。平和を願う人が多いにもかかわらず、戦争をしたがる人がいる。カラスに罪はないが、それを例えさせてもらった。

 

十字架の カラスも平和 願えども

5,6年前、新入幕の時から、照ノ富士には注目していた。その豪快な取り口は今まで見たことがない。白鵬の理想的な取り口も良いが、白鵬にはない魅力がある。けがのため序二段に落ちたが、きっと復帰してくると思っていたら、2020年7月の再入幕の場所で優勝した。11月場所の千秋楽、今日は12勝2敗で貴景勝と優勝戦。勝つよりもケガしないことを祈る。

寒い朝 なぜか路上にまだ履ける靴が一足。次に朝も残ったままだった。履き主はどこへ?

 

靴一足 履き主消えた 凍てる路

朝の散歩で見たこともないような大きな虹が出ていた。東にはこれまた見事な朝よけが。

 

朝焼けと 競う大虹 空分ける

友人が闘病約一年が回復した その友人からの写真に俳句をつけた

友人が鎌倉に勤めていると。話の中で、鎌倉はトンビが多いと言った。そこで鎌倉幕府を開いた頼朝を思い出して、作った。

頼朝の 野望の高み トンビ鳴く

 

故郷は千葉の安房郡の漁師町で、トンビが多かった。伊豆から逃げてきた頼朝

                             が再起を図った所でもある。

                             頼朝伝説も近くにあった。

 

                             頼朝よ 再起だ安房で 舞えトンビ 

最近、何人かの国会議員が、「国のため」と言っていた。若いとき、そんなことを言ったら、国民よりも国を優先するのか、国家主義者と批判されたと思う。しかし、最近はそのような批判も聞かれなくなった。

毎年、秋には柿を食べに来るメジロだが、今年も一回も見ない。何か起きたのか?地球温暖化?の影響?

 来年、また来てくれると良いのだが

友人が老神温泉に行ったと。実は10年ぐらい前に自分も行ったことがある。その時の夜、露天風呂に入ったことを思い出した

   写真は京都東福寺

朝散歩に行っていると、同じ人と同じ場所で会うことが多い。この日は霧が深くよく見えなかったが、たぶんいつも会うあの人だろう。

 

 

NMKの海外ドキュメントでシリア難民の放送があった。生活困窮から腎臓を売る人が出ていると。番組では誘拐されて、腎臓を摘出、その後殺される子供や、自ら摘出をお金ために申し出る子を紹介。そのうち1人の子は13歳だった。2020年の番組。

 

 

腎臓を売る シリアの娘 13の春

60過ぎから、排尿後に便器から離れると、たまに後漏れすることがある。若い人にそれを話すと、「記憶も漏れていますよ」と、つれない一言。そんなことは関係なく、見事な梅雨明けの空。

暑い時、交差点などで信号待ちをしている時は、電柱の細長い影にたたずむようにしている。トンボも同じように思うかもしれない。なお写真にトンボはいない。

庭に梨の木がある。5月の末ごろから、やたらと虫が出てくる。それを毎朝つぶしている。実際には、ほとんどの実が大きくならないが。そのために犠牲になる虫の多さを思う。

子どものころ家は貧乏であった。それでも乏しい小遣いを貯めていた。ある時学校から、帰ると貯金箱が開けられていた。両足切断で歩行できなく残った父親が、一言、自分の顔を見ないで、「母親は葬式に行った」と。不思議に怒る気持ちは起きなかった。この年になると、親も切なかったただろうなと思う。

 

子の貯金 盗み葬儀に 行く秋ぞ

 

父が病気で働けない中、母親が土方をして、家を支えてくれた。ある時、母が「土方殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の10日も降ればよい」と言う戯れ唄を教えてくれた。

 それでも、雨が降ると、母親が居るので自分は嬉しかった

今でも雨降りは嫌いではない。                                                母・土方 梅雨を恨むも 子は嬉し

最近、野原を散歩しているが、赤とんぼを全く見ない。30年ほど前は街中でうるさいほど見かけたが。

 カールソンが「沈黙の春」で警鐘をならした農薬の影響であろうか?友人のいる長野では、タニシやドジョウも姿を消したと。

山田耕作の「夕焼け小焼けの赤とんぼ、、、」の唄は名曲だと思うが、これでは虚しい。今のこともたちは実感がわかないだろう。絶滅危惧種にはならないのだろうか。

2020年12月6日はやぶさが地球に小惑星の砂の入ったカプセルを運んでから、別の惑星に向かった。地球の生命の起源を探す旅だとのこと。 

若いときに箏を3年ほど習っていた。そのうち同じ箏を習った同級生が居て、いつか名曲の「五段砧」を合奏をと話した。あれから40年近く立つが、まだそれは実現していない。

 最近、その同級生から初雪が降ったと聞いて。

 千鳥の曲という筝曲もある。こちらの方が良いかな

 

初雪は 「千鳥の曲」の 君に舞う

初雪は 君の「千鳥の曲」に舞う

 

2021年元旦は、雲一つない快晴であった。西には、満月。そこで、長年考えてきたことを、改めて実行したいと思った。

 

 

             同題の句。どっちが良いか?蕪村の

      「菜の花や 月は東に 日は西に」を

      ちょっと意識して。

 

      期して立つ 東に初日 西に月

2020年ぐらいから、体のいろいろガタが来て、いろいろな病院や診療科に行くことが増えた。これからも増えそうだ。困ったものだ。

受診が増えると、医療費も増えてくる 医療費が高齢者にとって大事な問題であることがわかってきた。 

ある病院の整形外科で、MRIを撮ったら、素人にもわかるような、脊柱管狭窄症!下部が急に細くなり蛇行している。見た直後、蛇行で有名な千曲川を思い出した。真ん中の白い流れ(中心菅)の下流(上)が信濃川、上流(下)が千曲川をイメージした。長野県民には失礼にあたらないかな。

上の自分の写真の後、他の写真を友人が送ってくれた それを比べて、「自分の方が悪い?」とある種の競い合う気持ちもちょっとでて来た。春になり、お互い治れば良いな!

最近、コロナの影響で在宅が多く、頻尿気味。以前、患者さんにもその対処法を聞かれ、「暗算」による尿意そらしをすすめました。しかし、自分でやってみると、結構、面倒でした。そこで、片足立ちすれば、バランスを取ろうとして、尿意を忘れることを思いつきました。これが簡単な人はさらに、つま先立ちをします。これもできる人は、さらにスクワットを。言わば、「尿忘れ片足つま先立ちスクワット」。今、実践中です。頻尿になやむ方の参考になればうれしいです。

春一番が強く吹く朝、散歩に行くと向こうから、ふらふらして老人が歩いてくる。よく見ると縁石の上を歩いてバランス訓練をしている。

 

爺歩く 縁石の上 春一番

 

冬の朝で、冷たい雨が降っていた。さすがに今朝は、いつも会う人の姿が見えない。ちょっと勝ち誇った気に

2019年の千葉への強い台風の後、信号の周りの並木が切られている。その切り株のそばの水仙がそれを惜しむように咲いていた。

はじめて鶯の冬鳴きでなく、春鳴き?をこの日に聞いた。事実のみを書いたのだが、俳句としてはどうか?

その日の朝は早起きして、自著の英文翻訳への訂正をしていた。英文で疲れた頭に、鶯の初音。英語圏にも鶯はいるのかな。

散歩の途中、良い香りがするのでそこに戻ってみると沈丁花の花だった。人によっては昔の恋を思い出すのでは?

子どもに人気のパンダが尻だけ出して捨てられていた。事情があるのだろうが、もう少し配慮のある捨てかたはできないのか?

テレビで則天武后の「武側天」を見ていると、バラの花の風呂に入っている場面があった。バラは無理だが椿なら入れられる。

椿はその花ビラを根元に散らすと、二度楽しめる。

朝、散歩に行くと決まったところで、鶯が鳴いている ある日の朝、ホケキョのあとの「谷渡り」がずっと長く続き聞きほれてしまった。貯水池の坂を下がると別の鶯の声が、、

満開の桜を見ると、重度の失語症をもった人が左手で描いていたことを思い出す。いまだ失語症の人がより良く話せる方法を見いだせないまま、桜がまた咲いてしまった。

公園で花見をしていたら、年配の男の人が、花を全く見ないで、持参した道具でごみを拾いだした。そういえば、この公園にはゴミがない。スミレはその後、歩道脇で見つけた。地面をよく見ないと見落とすほどの小さな花だ。

鏡を見ていたら、首に日本のしわを発見。これも、年の性と受け入れたい 隣の家のボタンも枯れかかっていた。若いころが懐かしい。

  同級生たちに見せたら、「自分は皺3本だ、こっちはちりめんだ」などと盛りあがった。

「首の皺 2本3本 競い合い 

私しゃちりめん 不可算だ」

 

2020年冬から始まったコロナの蔓延で、不要な外出の控えるよう言われた時期もあった。通りに人通りが消えると、木々の鳥さえも静かになった気もした。

散歩途中で膝が痛くなる時があった。どこかで休みたいが椅子がない。さらに雨が降りそうな鰯雲が出てきて、帰宅を急がす。

朝起きると、ぎっくり腰になっていた。スマホで連絡しようにも、手が届かない。痛いとこは聞いていたが、ほんとに痛かった。

散歩に行くと、雲が厚く、水墨画の世界のようだった。以前、水墨画を教えてくれた先生が、治ることのない病気になり入院している。

2022年、柿の実を取りつくしても、まだ葉が青々している。以前、この時期は葉も落ちていたはずだが。地球温暖化の影響だろうか?

2022年春、ロシアのプーチン大統領がウクライナに全面侵略を始める 彼は病んだとしか言いようが無い

テレビ電話で各地の友人と話す。他の友人は雪の積もり具合などを話しているが、暖地にすむ自分は庭に出てきたフキノトウを見ていた 

 

雪語る テレ友恨む ふきのとう

2021年朝日新聞の記事に腎臓を売るアフガンの若き母親の話が載った 腎臓一つ35万円だと 写真は朝日新聞より

 

アフガンの 熱砂腎臓 35万

 

砂嵐 腎臓売って 35万

その母親も金で買われて嫁いできたと そして彼女いわく 次に売るのは 今育てている娘ぐらいしかないと 写真は朝日新聞より

 

アフガンの 腎臓売った 買われ妻

次に売らんは 抱いてる娘

散歩途中に、毎年たわわに枝を伸ばして花を咲かせる桜があった しかし、その花をみることなく枝が切られていた

 

咲く前の 切り口白し 桜枝

 

 

すがすがしい朝 梅の花が青空に生える 今朝も無事に目を覚ますことができた いつまで続くだろうか 最近は、朝起きると布団の中で手を合わせ感謝している

ある朝 カラスの鳴き声がけたたましいと思ったら、庭に飛べない子供のカラスがいた 必死に親カラスが鳴いている そういえば、人には助けられる手があるが カラスには無い

 数時間後、親子ともいなくなっていた 無事に飛び立てたかな

 

飛べぬ子を 救えぬカラス 枯れる声

30年ほど前、父が危篤と聞いて乗った一番電車。夜が明けてくると車窓から彼岸花があちこちで見える。すでに遅いかと心配になった。着いてみると、やはり父は他界していた。

東京の亀戸に、うまい葛(くず)餅の店がある。そして、近くには藤で有名は亀戸天神が。数年前庭に植えた藤ノ木が花をつけ、その葛餅を思い出した。コロナで買いに行くのも気が引ける

友人が浅間山の見えるところで、自転車通勤をしている。酷暑の日は通勤が大変と聞いて

テレビ番組で、ある女優さんが外ではショーウィンドに写った自分の姿勢をチェックしていると 若竹を見てそれを思い出した 

 

陰が長く伸びる朝でも背筋を伸ばすことがある

 

朝影に 背筋を訂す 古希の春

庭にブルームーンのバラがある とても匂いが良いが、堂々と嗅ぐのはちょっと人目が気になる

 

人目無し バラ嗅ぐ爺の 頬も朱

 

18の頃 バイト先の皿洗いのお婆さんは優しく、動作がどことなく優雅だった 時々文末に「ありんす」という語を付ける癖があった 数年後、吉原の映画で遊女がまさに「ありんす」を使っていた 

 それを使えば、過去がわかってしまうが、染みついた習慣が今も抜けきれないのだろうか                          闇桜は自作季語だが適しているかどうか

 

太平洋戦争前、天草のあたりの貧しい娘が娼婦として東南アジアに渡った映画をみた 「サンダカン八番娼館」という映画で、彼女らは「からゆきさん」と呼ばれた

現地に残された墓を調査に来た人が、映画の最後に発した言葉が印象に残った

 

大阪出身の友人から、昔遊郭があった場所は、遊女が逃げぬよう壁で囲まれていたという話を聞いた その壁は「嘆き壁」と呼ぶとも 彼女らは自由に花見にいけたのだろうか

 

花吹雪 明日こそ超えろ 嘆き壁

 

15で社会に出ざるを得なかった時、「いつか世の中を見返してやる」と思った この認知症支援の英語本刊行時、それを思い出した。自分に課した約束を果たせた気がした。「復讐」という語が浮かんだので、あえて正直に詠ませてもらった 教育に恵まれなかった人にはこの気持ちを理解してもらえると思う 

 海外ではすでに同種の本が3,4冊あるが、独創性とLowからHigh Techまでの幅の広さにおいて先行本に勝っていると思う

 ここに至るまでに数えきれない人の協力と、運に恵まれた 感謝だ!

 

 

認知症の英語本が上梓でき、関西方面にお礼に伺った後、吉野山にきた 満開でまさに絶景だ 育ててくれた母親に見せてあげたかった 「ヨイトマケの唄」の最後に「母ちゃんの歌こそ世界一」とある 

 他に類のない英語本が出せて世界の認知症の人に少しはお役に立てたと思う 

                            やったぜ!母ちゃん

 

                           世界一 なっておっ母 吉野山

 

しかし、桜を見ながらいろいろ誓ってきたが、いまだできていないことも思い出した。

 

花に誓い 花に背いて 花・吉野

 

それらを成就する時間が自分に残されていれば良いのだが、、 

 

あえて「花」を三つ重ねた これで吉野山 

                             の雰囲気が出るであろうか? 

 

2022年9月Gerontechnology学会の帰りに釜山に寄った 釜山港巡りの観光船から、波打ち際には白い無数の高層ビルが そして水平線のかなたに対馬の島影がはっきり見えた 

古来よりこの海を文化が渡った また日本の侵略や、元寇もあった 日露戦争の時は、この海を東郷平八郎の連合艦隊が右から左に進んだはずだ

 一方で繰り返し戦禍を受けた韓国の人の目に この海はどう映るのだろうか

 

渦巻いた 野望と怨嗟 カモメ舞う

対馬見ゆ 届けよカモメ アリランを

                                                            鬼が島 今は対馬の カモメ来る

 

最近、朝顔の碧き色が好きになり、その淵の中に入って行きたい気になる。臨終のときはこの碧に包まれるように逝きたい

年々、花の時期が早くなる。北の国では氷河が消えていると 天を仰いで地球温暖化を憂うるべきだ

亀戸天神からの藤棚の向こうにスカイツリーが見えた まるでツリーの裾を彩るようだった

もの忘れで無くしてゆく記憶や能力があるが、今朝は桃の花が三つ、今年初めて咲いた

最近、ウォシュレットを使った後、考え事をしていたら、拭くのをわすれてしまった いかに考え事をしても、若い時なら絶対に忘れない手順を忘れた

前立腺肥大の診断を受けていて、そのせいか切迫排尿が出てきた 心配になり遠いところに行くときは尿パッドをつけていこう パッドの性能もよくなってきた 活用していこう

よろしければ、俳句・和歌・川柳集 2 もご覧ください。